骨髄バンクでドナーになった経験と、その後の登録を断ったときの話

骨髄ドナーというのは、身近なようでいて周りにあまり経験者がいないものではないだろうか。
多くの人が「人の命を救うことができるならやってみたい、でも大変そう…」程度に考えていて、ドナーを経験した人は「すごい」「偉い」と単純に賛美の対象になる感がある。

私は、数年前にその骨髄ドナーを経験した。
本来ドナーになったことは大っぴらに公言してはいけないのだが、幸い?なことにこのブログの存在は誰にも明かしていないので、身元が分かることはまずないだろう。それよりも、自分の経験を少しでも多くの人に知ってもらう方が価値があるのではと判断したので、書いてみることにする。
長文です。

ドナーに適合したのは、登録してから5年ほどしたころ。
ちょうど大きな引越しが重なってしまい、コーディネーターと呼ばれる、骨髄バンクのスタッフの方には大変迷惑をかけた。

正直に言うと、本当に選ばれたのは非常に驚いた。
登録はしても、実際に適合する人はかなり少ないと聞いていたからだ。

骨髄移植というのは、主に白血病などの血液の病気に適用される。なので、白血球の成分が合うかどうかで決まる。
有名な「ABO式」の血液型は赤血球の型で、白血球はもっと種類が多い。そのため、家族といえども中々適合しない。

ちなみに、骨髄の移植をすると「ABO式」の血液型も変化する。私はA型だが、私の骨髄を移植した人は元々B型でもO型でもA型になる。
それだけでも、血液型で性格を判断するのがどれだけ無意味かが分かると思う。

もちろん迷いもあったのだけど「ここでやめたら、登録したのも結局偽善だったのか」という思いが強く、承諾した。
家族の同意も得て、最終同意書というやつにサインをした。途中多くの同意ステップがあるのだが、この最終同意を終えると患者さんは全身の骨髄を抜くなどの手術の準備を始めるため、キャンセルは許されない。

家族は、やはり諸手を挙げて賛成ではなかった。というか、反対していた。
どこから調べてきたのか、過去の骨髄移植で1件だけ発生したドナーの死亡事故の話を知っていた。
家族のそういう気持ちも分かるから、何となく辛くはあった。

ドナーと患者の間には完全な「貸し借り」が発生するので、お互いの情報は絶対に教えてくれない。ただ、手術の直前に「関東に住む50代の男性」ということだけは教えてもらった。

ここでちょっと複雑な気持ちになったことは隠さない。
自分が登録したきっかけは、18歳の時、白血病で親友を失ったことだった。
うっすらとではあるが、やはり子ども、または自分より若い人の命を救うものだと思っていたのかもしれない。それこそ自分の勝手な思い込み以外の何物でもないのだけど。

手術当日、まずカンチョウをして腹の中のものを全部だす。
これは、全身麻酔のために手術中に垂れ流してしまうことがあるからだそうだ。

そして直前に、医大生に手術の見学をさせたいと言われた。
正直、尿道カテーテルを入れられるところまでうら若き学生に見られるのは恥ずかしかったが、特に断る理由もないので承諾した。

手術室に運ばれる前に、腕にとてつもなく太い注射を打たれた。その後本当に数分で眠ってしまい全く記憶がないので、睡眠薬か何かだったのだろう。

次に気づいたのは真夜中だった。
腰に激痛が走り、飛び起きた。麻酔が切れたわけだ。

まさに「鈍痛」というやつで、2Bの鉛筆をゆっくり刺されているような痛みだった。
実際に、腰には鉛筆大の針の痕が4つあった。

その後、朝まであまり眠れず鈍痛が続く。
ようやく歩けるようになったのは2日後くらいだったが、それでも早いと言われた。

1週間後には無事退院。仕事には次の週から復帰できた。
ただ、私はオフィスワークだったからよかったものの、肉体労働や立ち仕事だったらおそらく3週間程度は厳しかっただろうと思う。しばらく重めのドアを引くことすら難儀した。

前述のようにドナーになったことは言えないため、本当のことは上司にのみ伝え、周りの人には「腰をうって入院した」と言っていた(笑)

ドナーと患者の間では、手術を終えてから1年間、バンクを通じて手紙の交流が認められている。
私は、やはり心のどこかでその手紙を待っていた。自分の力、では全然ないけど、まぁ少しでも役に立ったのなら嬉しいな、と。

しかし、手紙は来なかった。

これが何を意味しているのか、色々と考えた。
結局、役には立てなかったのか。それとも助かったけどお礼は言われないだけなのか。それならいいんだけど、相手はひょっとしてとんでもない極悪人で、自分は社会の役に立つどころか逆のことをしてしまったのでは…
妄想は広がるばかりだ。

自分から送ろうかとも思ったのだが、悲しい理由だったら相手に悪いし、結局できなかった。
結局私はドナーにはなったものの、自分のしたことは一体なんだったのか、自分の中で消化できないまま、何ともいえない後味と厚生労働大臣からの感謝状一枚を抱えることになった。

それが当たり前で、自己満足気分を得ようとしていただけなのだろう、と今は思う。
しかし当時の自分としては、それなりに自分のいろいろなものを犠牲にして見ず知らずの人の命を救おうと覚悟していたので、その結果が何も分からないということに多少なりとも不満を抱えていた。
この辺りは、今後のドナー運営の点で何かしら改善してほしいと願う。大変難しいことだとは分かっているけど、それがドナーを増やすことにもつながるのではないだろうか。

生涯で骨髄ドナーになれるのは2回だけ(家族の場合は除く)。
手術をしてから半年後くらいに、引き続きドナーになるかどうかという意思確認が来た。

私は迷ったが、断った。
そして今でも、再登録はしていない。

ドナーを考えている方がいらっしゃれば、本当に家族とよく話し合って、そして最終的にはやはり自分の意思で決めてほしい。

私の場合、もし家族や知人が「やりたい」と言ったなら、自分の経験をよく話すつもりだ。

もちろん個人差があるけど、完全に何の違和感もなく運動ができるようになったのは半年後くらい。針の痕も半年もすれば消えると言われていたけど、3年は残っていた。

骨髄ドナーになった話というのは美化されやすい。検索してみても、すばらしい体験談ばかりが並ぶ。
だから、私が思ったことも記してみてもいいかなと思った。正しいとか間違っているとかではなくて、ただ「私の場合こうだった」というだけ。

明日は、その友の命日。
この体験談が、何かの役に立てれば大変幸いです。

成功率の高い映画デートの誘い方

via:成功率の高いデートの誘い方
個人的にちょっと不満だったのでダラダラと書く。
あくまで「映画デート」に限定しています。

■単館系の映画に誘う

「チケットが余っているから」というのは確かに重くないかもしれないが、チケットの消費のため?と思われたら損だろう。その後も友だち関係でいいのであれば別だけど。
それに、初めての映画をいちから話し合いで決めるというのは結構面倒。なので最初から「この映画観たいんだよね」という決めうちで。

その時点で「わたし、そうゆうの好きじゃないから…」と言われたら、もう諦めよう。こりゃ100%脈なしだ。

メジャー系の映画はいつどこでも観られるし、最悪DVD化されてからでもいいけど「これ、DVDになるかも分からないんだ」と言えば余計誘いやすいのでは。

他にも単館系の映画に誘うことによって、映画に詳しい(「非・映画オタク」かどうかは、チョイス次第)、おしゃれ(っぽい)という副次的要素も。
最大の欠点は、単館系は当たり外れが多いこと。相手との関係などによって、慎重に選びたい。
できれば、映画バカの助言をもらいたいところ。

■「絶対に」予告編から観ろ

「映画デートはあまり話せない」という人、non non!
確かに上映中は私語禁止だが、予告編の間くらい、ささやく程度に話すことは可能。

この「ささやく」がポイントで、小声な分近くに寄らなければならず、自然と身体的な距離を縮められる。

予告編は大抵面白そうにできているので、「今度はこれ観に行こうよ」とか言っとけばよし。

当日がダメでも、相手が興味を示したものを覚えといて「この間のやつ、公開始まったみたいなんだけど…」と誘ってみるのはごく自然ではなかろうか。

この時点で「ごめん、この間は面白そうって言っちゃったけど、本当は全然興味ないの…」と言われたら、もう諦めよう。こりゃ100%脈なしだ。

「映画デートはあまり話せない」かもしれないけど、初めてのデートで会話が続かないよりはマシではないだろうか。

■観賞後、感想を言わない

映画を見終わえた直後は、当然その感想を言いたい。
でも、あえて言わない。もしくはなるべく控えめにして、相手の意見を聞くだけに留める。

基本的に、ひとつの映画に対する感想など違って当たり前。
楽しい初デートで、映画に対する意見の食い違いで気まずい思いなどしてもしょうがない。
ましてや、付き合ってもいないのだから。

「それでは互いの理解の妨げになる!万死に値する!」という意見もあるかもしれないが、どんなに長く一緒にいても、完璧に意見が合うなんてことはありえない(と思う)。
よほど映画が好きで真剣に議論したい(私のような)人以外は、たかが映画でケンカするのはバカらしいと思う。

この時点で「○○君って、センベイ布団並に薄っぺらい考え方なのね。それに、口も臭いし…」と言われたら、もう諦めよう。こりゃ100%脈なしだ。

あと細かいところだと、上映中トイレに行かないとか、なるべく空いた時間帯を選ぶとかか。

結局「誘い方」でも何でもなくなってしまった…

それにしても、書き終えてみると何だか赤面モノだなぁ。酔っ払った勢いで書いたものの、素面になったら削除しそうだ…

夏の終わり

夏の終わりは、なんだか物悲しい。こんなに厳しい季節も他にないというのに。

なぜそう思うのか、ちょっと考えた。

日が長くなり、外に出たくなるからか、夏は活動的になる。
あれもしたいこれもしたい。ここにもあそこにも行きたい。今年こそあれを始めたい。あわよくば、恋愛だってしてみたい。

やりたいことが山のように出てくる。
しかし、いざ終わろうとする頃、やれなかったことがポロポロ出てくる。
まだスイカも食べてないし、海にも行っていない。欲しかったTシャツも買えてないし、結局、今年の夏は何もなかったな…

日が暮れるのが早くなり、蝉の代わりに鈴虫が鳴き始めて、夏の終わりが近いことを感じる。

でも、いつもそうなのかもしれない。
やったこと、嬉しかったことは自分にとって事実だから、当然で、忘れがちで、やれなかったことばかりが大量にあって、それが理想化されてしまう。本当は、やれないことの方が多いのに。
慢心する必要はないけど、たまには後ろを振り返って、自分がしてきたことを確認するのも必要なのかもしれない。

もう、夏の終わりだ。
そう思うと、刺すような日差しも、むせるような暑さも、もう少し正面から向き合ってやろうという気がしてくる。

禁断の園? 執事カフェの実態

「メイドカフェ」は知っていたのだが、「執事カフェ」というものがあるというのを先日知った(有名だったらごめんなさい…)。
行ったことのある人に話を聞いたのだが、その内容がとても面白かったのでエントリにしてみる。

とはいえ、「執事カフェ」と言われて何のことだか全然分からない方(大多数だと思う)のための前提知識として、燕尾服を着た従業員が客を「お嬢様」と呼び、時間内とにかく奉仕してくれるところ、というイメージです。

    ・用がある際は机の上のベルを鳴らす。どんな状況でもすぐに飛んできてくれる。
    ・とにかく尽くし度が半端じゃない。呼んどいて「このカップを動かして」と言っても快く応対。
    ・食器は、その人に合ったイメージのものがさりげなく運ばれてくる。
    ・従業員(執事)の方は、若い人から50代くらいまで幅広い。年配の人は「爺や」と呼ばれる。
    「一人で席を立たないでください」と注意書きがある。トイレに行く際もエスコートがつく。
    ・90分制だが、料金は食事代のみ。その人は約3,000円程度だったとのこと。
    ・客層は女の人ばかりではなく、年配の男の人も多い。なぜなら、高級ホテル以上のサービスが(安価で)受けられるから。
    ・店を出る際の挨拶は選ぶことができる。「いってらっしゃいませ」から「馬車がお待ちです」まで(当然、待ってない)。
    ・「外国人専用執事カフェ」なるものもある。そこでは、呼ぶと必ず「Yes, My Princess?」と言いながらテーブルにきてくれる。
    ・ついでに、外国人執事カフェではオプションで「お姫様抱っこ(有料)」がある。

お店の予約は一ヶ月前からWebで可能だが、土日などは本当に「秒殺」で埋まってしまい、人気コンサートのチケットを取るより難しいらしい。

同種のビジネスですぐに思いつくのがホストクラブだが、その人いわく、みんながホストクラブのようなハイテンションが好きなわけではなく、昼間(カフェだから営業時間は日中のみ)にゆったりと楽しみたい人もいるという。
確かに、一晩でウン百万をつかったとか、従業員の年収が何千万だとかいう世界よりは、よっぽど健全かもしれない。女性も行きやすいのではないだろうか。

大変な人気だそうだから、メイドカフェのように「執事カフェ」が日本中に爆発的に広まる日が来るかも…?

うつの人と接する際に学んだこと

タイトルの件について、たまに考えることがある。
私自身は現在うつ病ということはなく、今までにもそういった経験はない。

しかし、周囲にそういった人はいた。というか、多かった。
私は非常にハードな仕事をしていた時期があったが、その中で何人もの知人が精神を病み、会社を辞めていったり故郷に帰ったりしなくてはならなかった。

うつの人がそうでない人に与える誤解は多い。目に見えない心の病であるから、分からない人にはどうしても分からないのだろう。
やはり両者の間には根本的な考え方に違いがあり、それがお互いの誤解を生んでいるように思う。

例えば以前、同僚が精神的な理由で休職したことがあった。
その影響で、私はその人の仕事をすべて引き受けなければならなかった。

しばらく音沙汰がなかったのだが、ある日、夜中に友人たちと遊んでいることを、とあるSNSの日記に書いていた。
私は「そんなことする余裕があるなら会社来てくれよなぁ…」と当然のごとく感じた。
その時の私の価値観に照らせば「会社を休むのはよほどのこと」であり、「休職して夜遊びをする」ことなど、当然責められてしかるべき行動だった。

しかし、当人にすれば「仕事のような責任のある行動はまだ無理だが、友人と語らえるくらいには回復した」ということになるのだ。
正直、それを噛み砕くのは簡単ではなかったが、今となっては何となく理解できる。

そうして、そういった「責める」気持ちを持つことが最も悪い影響を及ぼすことを知ってからは、負の連鎖は少なくとも健康な自分の方から断ち切ろうと思えた(それでその人が早く帰ってきてくれれば、結果的に自分も楽になるし)。

「うつとそうでない人」の線引きが非常に難しいため、疑心暗鬼を産むのは残念ながら事実だ。
知り合いに一人、うつで休職中にマンションを購入し、コミケに出展するための自作マンガを書き続け、mixiのサークルの集まりには嬉々として出かけていく、という生活を2年くらいしていた人がいた。
彼がうつ病かそうでなかったのは分からないが、周りも、言葉は悪いが「腫れ物に触る」ような感じで、どう接していいのかが分からなかったのは事実だ。
結局、彼は会社に戻ることなく、そのままより条件のいい会社に転職してしまった。

そして私は、おそらくうつよりももっと悪い「境界性人格障害(ボーダー)」の人が身近にいたこともあった。
左腕に何十もの傷があり、何もないのに突然号泣したりする人だった。

その時の私は、そういった心の病気はいつか治るものだと思っていて、何とかして良くしたいと奮闘していた。
頻繁に心療内科に通って毎日大量の薬を飲んでもいたが、良くなることはなかった。

いつからか私は、これがこの人そのものなのだと思うようになった。
無理に治そうとするのではなく、ありのままの姿と向き合っていくこと。それは病気とは関係のない、人と人との接し方としてごく当たり前の結論だった。

うつ病にしろボーダーにしろ、結局はその人の「性格」みたいなものであり、何も偏見を持つことなく接することなのかな、と今では思っている。
病気じゃなくたって、色んな性格の人がいる。そういうことなのかなと。

もし休職者のせいで負担が増えたのなら、それは経営者に文句を言うべきであり、休職自体は労働者に認められた権利なのだ。
その間に何をしようが、他の人にとやかく言われる筋合いはない。

無知な我々は、時に人を傷つけてしまうかもしれない。
でもそれは誰でも同じ、それが人間関係というものでもあるから「あまり気にしない」というのはとても重要なんじゃないだろうか。