自己責任論は弱者の足の引っぱりあい

English follows after Japanese…

大学のころ、授業中に教授が児童福祉だかの寄付を行うために募金箱を回した。
「強制ではない」という言葉通り、札を入れる人や1円を入れる人、もちろん何も入れない人もいた。

ところが、90分の授業が終わっても箱は戻ってこなかった。まさか誰かが盗んだのでは…?

そうではなかった。一番後ろでケラケラ笑いながらしゃべっていた奴らの机の上に置きっぱなしになっていたのだ。
そいつらはそのときまで、まるで自分には関係ないという顔でそのまま放置していたのだろう。

授業が終わって教室を出るときにそのことに気づいた僕は、殺意にも似た激しい怒りと、ひどい絶望感に襲われた。
寄付なんて自由だ。しかし、ただ「募金箱を隣の人に渡す」という、善意ともいえないことすらしない人間がこんなにも身近に、少なくとも同じ教室で勉強をする中にいたことは大きなショックだった。

今の「派遣叩き」を見ていると、あの時と同じ感覚になるときがある。
大企業を優遇する政策を、もちろん一国の景況をよくするためとはいえ政府が執り行い、それによって人間の尊厳(と言っては大げさかもしれないけど)のような、もっと大事な何かが失われかけているのに、やれタバコを吸うな、努力が足りない、俺たちも薄給でがんばっているんだと、弱者が弱者を責め立てているのだ。

確かにワーキングプアに代表されるように、努力しているのに、身を粉にして働いているのに賃金が上がらない、苦しい生活を強いられている人は多い。

しかしその怒りの矛先がより弱い人たちに向かっていくのは、まさにお上に操られている証拠じゃないか。まるで農民の下に「エタ・ヒニン」を作ることで民衆の怒りを抑えた、江戸時代の政策みたいに。
我々の敵はそこではないはず。むしろ我々は仲間のはずなんだ。

いつの時代だって、政府が最も恐れるのは国民だ。国民が怒り狂ったら手のつけようがない。
だからこそ武器を奪い、金を奪い、物を奪って力をなくし、感情をコントロールすることに努めていた。僕らは政府やマスコミに踊らされているばっかりじゃダメなはずだ。

阪神大震災から今日でもう14年。あの時僕らは協力しあわなかったか。
瓦礫の下のわが子をかばい、素人が命を懸けて隣人の救出活動をおこない、尽きることなく燃えさかる炎に立ち向かい、何の対価もないのに毎週末にボランティアに繰り出したじゃないか。

そんな人は一部だった。でも、心を痛めたじゃないか。辛い気持ちを共有した仲間じゃないのか。

神戸の人たちに「そんなところに住んでいるのが悪い」と言うのか?そんなどうしようもなくギスギスした社会なのか。

天災と今の経済危機を一緒にするのはおかしい。
でも、今は本当に国家がどうなるかという瀬戸際にある。このままでは絶対にまずい。僕らは「敵」を見誤っちゃいけないんだ。

キレイゴトかもしれない。

でも少なくとも僕は、あの時ケラケラ笑っていたあんな奴らにだけはなりたくない。

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In the days of a university, Mr. professor turned a collecting box so that a performed the contribution that was child welfare during a class.
According to the not to “be compulsion”, there were the person who put a bills and the person who put \1, the person whom of course could nothing.

However, the box did not return even if a class was over. Indeed somebody stole it…?

It was not so. It was left behind on a desk, where some guys who talked while laughing each other.
Those fellows would just leave you unattended with a face to totally have nothing to do with oneself until the time.

I who noticed it when a class was over and left the classroom was attacked by the intense anger that resembled the urge to kill and a feeling of terrible despair.
Contribution is free. However, it was a big shock to have been in the inside that the person who did not do even that it cannot be said with the good will to “hand a collecting box to the next person” was only like this, and studied in the close same classroom.

There is time to be in that time and the same sense when I watch the present “part-time-workers beating”.
Though a policy to receive a big business warmly be said of course to make business conditions of one country better, and the government holds it, and anything which is more important which seems to be human dignity thereby (though I may be exaggerated when I say) is about to be lost, the weak tortures the weak.

There are surely many people forced to the painful life that a wage does not stop to make an effort so that it is represented by though I work with one’s blood and guts.

However, is it the evidence that is right handled in the government that leave for the people who are poorer at the object of attack of the anger? Like the policy of the Edo era when the edo-gorvement controlled the anger of the people by making “human class system”.
Our enemy cannot be there. Rather we should be friends.

It is the nation that the government is afraid most even in what time of times. If the nation gets furiously angry; of the hand cannot arrive.
Therefore they took a weapon and money and quality and got rid of power and tried for controlling feelings. We must wide open with eyes for the government and the mass communication.

It is another 14 years from Great Hanshin Earthquake by today. Did not we cooperate at that time?
Someone protected his child under the debris, and an amateurs performed the rescue operation of the neighbor at the risk of life and firemans confronted the flame which blazed without being simply it, and what value flocked for a volunteer in every what there was not on the weekend.

Such person was a part. But we feel anxious, didn’t we?

Do you say to people of Kobe that it “is bad to live in such a place”? Is it such a helplessly unsociable society?

It is strange to do a natural disaster and the present economic crisis together.
But the last moment how turns out really has a nation now. In this situation is absolutely bad. We must not take a wrong enemy.

I do not want to become “the laughing guys” at that time.

「自己責任論は弱者の足の引っぱりあい」への8件のフィードバック

  1. 理不尽な天災と元派遣の境遇を一緒にするのが詭弁だよ。
    確かに敵を見誤っちゃいけないが味方を見誤るのもやばいと思う。色んな組織があるからね。結局利用されてましたってことに成りかねない。
    心からの善意、それだけで世界が成り立っていたらどんなに簡単だろうね。

  2. >匿名さん
    コメントいただきありがとうございます。
    おっしゃるとおり、天災と経済問題を比較するのはちょっとこじつけかもしれません。不快な思いをされた人がいたら、それは本意ではありません。

    言いたかったのは、みんながみんなボランティアや善意で行動しろってことではなく、今現在の危機的状況を認識し、それに対応することこそがもっとも大事であるということです。

    今、日本には貧困が蔓延していると思います。このままではアメリカ並みに貧富の差が拡大するのは間違いなく、それ自体は資本主義のある意味一つの結果なのかもしれませんが、社会の形としては決して豊かとはいえないと思うのです。もちろん、社会主義にしろということではないですが。

    日本人が政治に関心がないのは、国がある程度熟成している(=国民が満足している)からだと思っていますが、そろそろそれではまずいんじゃないかなと感じています。

    ただご指摘のとおり、さまざまな思惑を持った人がいて、みんなが基本的に自己利益のために動いているのだと認識することは大事ですね。気がついたら利用されていただけ、というのは辛いものです。

    なるべく多面的に考えて書こうとは思っているのですが、やはり指摘されて気づくことが多々あります。これからもご意見いただけますと大変幸いです。

  3. >でも少なくとも僕は、あの時ケラケラ笑っていたあんな奴らにだけはなりたくない。

    あなたの怒りの矛先も仲間であるはずの人に向いてるようですが?

  4. >匿名さん
    コメントいただきありがとうございます。

    失業者の方に「俺も働いてるんだから、お前も甘えてないで働け」という怒りと、悪いことをしている人に対しての怒りは種類が違いますよね。

    僕はそのとき、例に出した彼らを(結果的に)後者だと判断したわけです。少なくとも、ほかの人が寄付をする機会を意図的に損失したわけですから(もちろん、悪人というほどではないです)。

    少なくとも僕は、現状を変えようと何かに怒っている人は評価されるべきだと思います。ただ、その不満だったりのパワーのはけ口を間違えるのは危険だし、もったいないですよね。
    上の例で言えば、多くの人が「俺も募金したんだからお前も募金しろよ」と怒っているように見えるということです。

    それに「人類みな兄弟」とはさすがに思っていません。残念ながら、世の中にはその生命の存在価値を疑われる人がいることも事実なので。
    ただそうではない人たち、本当に真摯に現実と向き合っているのに、あらぬ方向に目を向かされているのは残念だと思うだけです。

    >ABBAさん
    コメントいただきありがとうございます。

    おっしゃるとおり、すぐにカッとなるのが自分の非常に弱いところだと認識しています。文章でもそれが伝わるとは恥ずかしい限りです。

    その時も瞬間はカッとなりましたが、一応冷静に注意するだけにとどめました。
    結局ケンカになりかけましたが。

  5. まず、そもそも政府を敵と捉える貴方のステレオタイプな考えに辟易しましたし、
    派遣問題の裏には「働く意思もなくただ国の補助にしがみついている人間」もいるということを理解しているのでしょうか?

  6. 面白いエントリーを読ませていただきました。ありがとうございます。

    しかし、全く面白くないコメントには、ほとほと呆れました。
    筆者が「この姿は、本来こうあるべきだよね」と言ってる所で「いや、世の中、そんなにうまくできてないよね」って意味ないし、つまらないですよ。そのコメント。
    「うまくできてない世の中だから、こうあるべき」というビジョンを提示している所でそんな突っ込み入れてどうするんですか。
    「派遣問題の裏には国の補助にしがみついてる人もいる云々」は事実その通りの人もいるでしょうけれど、それも踏まえた上で批判バランスがおかしい事を指摘しているように読めるのですが、違うのかな。

    コメントしている方は、わかっていて指摘しているのか、わからず指摘しているのかは存じませんが
    文脈読んで、筆者のいわんとしている事を理解しましょうよ。
    (かくいう私も読み違えているかもしれませんが、ちょっと短絡的なコメントにしか思えなかったのでdisらせて頂きました。)

    ただ、確かにこのエントリーに拒否反応を覚える人はいるだろうなぁとも思えました。
    というのも、話の展開がやや強引に思える部分がありますし
    こういう精神論的展開の奇麗事を見ると突っ込みたがる人が現れるのは、恒例行事のようなものですよね。

    それにしても、このエントリーは何となく演説を彷彿させますね。これを政治家が演説するならば素晴らしい内容だと思います。
    しかし、文字にすると焦点がぼやけてしまうのではないでしょうか。
    もっと伝えたいテーマを前面に打ち出し、強調して記す方が読者伝わりやすいと思います。
    さすれば枝葉末節にこだわる突っ込みも減るんじゃないかなぁ、なんて思いました。

  7. >匿名さん
    そういう人は、今に限らずいつの時代にもいます。
    残念ながら、人口のある一定の割合で絶対に存在しますし、今後もそうでしょう。だからこそ生活補助の不正受給なども後を絶たないわけですし。

    ただ、本当に働き口がなくて、あっても貧困に喘いでいたりする人は実際どんどん増えています。

    今年度、そして来年で数万人の派遣契約が切れ、その人たちは再雇用しないと企業は明言しています。もうすぐ、さらに数万人単位で失業者が増えるわけです。

    そうなれば、生活保護の受給者がもっと増えるでしょう。そして今「正規雇用」と言われているような人たちの負担がさらに増えるかもしれません。生活は苦しくなり国はどんどん疲弊していきます。

    あまり報道されませんが、今障害者の方などの雇用がひどい状況です。そうやって、立場の弱い人たちにしわ寄せがいっている現実があります。

    そういった状況は、政府であり、内部留保額をためるだけためて労働者にはほとんど還元してこなかった一部の企業などの責任が大きいと僕は思っています(もちろんそれだけではないですが)。

    もちろんその政府は我々自身が選んでいるわけですから、我々自身にも責任があります(「敵」と言っているのは比喩表現です。念のため)。

    だからこそ、そういった起きている状況の本質を捉える目を持つべきだということです(上記のことがすべてではないですし、まだ誰も知らない何か大きな理由があるのかもしれませんが)。

    極端に言うと「働きたくない人に給付金を与える」だけで解決するのであればすごく楽です。
    事情はそんなに簡単ではなく、もっともっと複雑であるということです。

    それを解決するにはどうしたらいいか。僕なりに考えていますが、ここで書くと長くなりすぎますので、いつかエントリにさせていただきたいと思います。

    >トモタカさん
    コメントいただき、ありがとうございます。暖かいお言葉大変恐縮です。

    トモタカさんのおっしゃるとおりで、上記に自分の意見を書かせていただきました。それを省いてしまったのが、そもそもいけなかったかもしれません。

    ただ、さまざまな立場や意見の方からコメントをいただくのはありがたいことだと思っています。
    やはり自分ひとりでは視点が片寄ってしまうのは事実ですし、何よりも、それぞれが自らの意見とスタンスをもって望むことこそが重要だと思うからです。

    また、ご指摘はまったくそのとおりです。
    自分で改めて読み返してみると、何でも勢いで書けばいいってもんじゃないと反省する部分があります。
    特に地震の被災に遭われた方などが不快に思われると本意ではありません。

    しかし、やはりこの危機的状況を認識し、何か行動を起こさなければ本当にまずいよな、と思っています。

    これからは、論点を整理した書き方を心がけたいと思います。
    今後も鋭いご指摘いただけると幸いです。

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