[読書]子どもの貧困 阿部彩

サブタイトルともなっている「日本の不公平を考える」というのが、著者が主張したかったすべてを物語っている。

親もなくスラム街で暮らすアフリカの子どもたち、富める人々を横目に道をひとつ隔てた裏路地で悪臭にまみれて暮らす中国の貧困層、ストリートチルドレン問題を抱えるアジアの諸国。

それら途上国に比べ、日本の子どもは恵まれているとされてきた。日本は豊かで、生きていくための最低限の権利が保障されていると認識されている。

しかし、そうではなかった。本書を読むと、日本の「貧困層」と言われる人々がどのような生活を強いられているのかが、克明に伝わってくる。

膨大なデータを元に、日本の貧困が看過ならざる状態にまで陥っていることを指摘する著者。特に、母子家庭のそれは本当に深刻だ。貧しいために働きに出る母親、必然的に取り残される子どもたち。
多くの母親がオーバーワークに耐え切れず体調を崩し、さらに貧しくなっていく。日本では「女性の社会進出」という御旗の元、とにかく「働くこと」が奨励される。しかし著者に言わせれば、それは「働くことを強いている」ことにもなっているという。貧しければとにかく働け、その場は作ってやるから、と。

生活保護に関しても、マスコミに登場するのは主に不正に受給している人ばかり。しかし実際は、受ける資格があるのに受けられない人たちばかりだ。何度申請しても、何かしら難癖をつけられて断られる。弱い立場の人々は、もう追い込まれるしかない社会が、そこには広がっていた。

そこには、貧しくても強く生きることこそ美徳、という日本人ならではの「清貧」の精神があると指摘する。貧しくても、がんばって勉強をして偉くなることこそ尊い。人々はそのような美談を好む。
しかしそれは、本当に一部に過ぎない。ほとんどの子どもたちは、貧しさに学習意欲をそぎとられ、夢を見つけることもできず、幸福も感じられず、また同じような子どもたちを生み出すことにもつながる。国は「機会の平等」を掲げているというが、こういった子どもたちにはその機会すら与えられていないと著者は嘆く。

何ということだろうか。子どもが、貧しさのあまりすべてを諦めるしかない社会とは。

現状を嘆くばかりではない。著者はきちんと代替案も示している。
そのひとつが、従来家庭単位で考えられていた救済を、子ども単位で行うべきというものだ。両親にいくら資産があるのか、働こうと思えば働けるのかどうか、親戚にお金を借りられるのではないか。そのような「大人の事情」は子どもには関係ない。今その子どもが置かれている状況がすべてであり、それが保護に値するものだと判断されれば救済を行う、というものだ。

このような問題は社会の縮図であり、解決するのは非常に難しい複雑さがあるだろう。そして、著者が提示するような案で本当に何とかなるのかどうかも分からない。
しかしこの状態が本当なら、絶対にどうにかしなくてはならない。このまま社会の暗部に目を瞑ったまま暮らしていくのは忍びない。

著者の阿部彩氏は、MITを卒業し国際連合でも働いた経験があるそうだ。
家庭も子どもも持ち、非の打ち所のない「超エリート」の彼女が、母子家庭を初めとした日本の貧困を声高に意見することに、非常に意味があったのではないかと思う。

基本的にデータの羅列で構成されているため、読みにくいこともあるかもしれないが、この現実は日本国民であれば誰でも知っておく必要があると思う。

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