臓器移植改正案と脳死


遅ればせながら、5/17にフジテレビ系列の「サキヨミ」という番組の「脳死」をテーマとした特集は、非常に興味深いものだった。

登場したのは、海外で心臓移植を行うために1億円以上の寄付金を集め、無事成功して健康を取り戻した女の子。
そして、1歳で「脳死」と判定されたにもかかわらずその後8年間、動くことはできないが体はきちんと成長している男の子。

日本における「脳死」の基準は、「大脳、小脳、脳幹を含めた脳のすべての機能が、回復不可能な状態になること」だという。
しかし、登場した専門家(名前失念)の話によると、日本における脳死、移植の基準は「脳死状態になると、1週間以内に必ず死に至る」と考えられていた1980年代から変わっておらず、最近では「脳死状態になっても、20%の人が一ヶ月以上生き延びる」という報告が厚労省から出されたという(ただしこの「脳死」の基準に関しては、個人的に調べた結果では現在のアメリカと同じものを採用しており、安易に「古い基準」だと否定できるものではないと考えられる)。


その上で、今回提案されようとしている臓器移植改正案は、
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注目されているのは、主にA案とD案だ。
違いは、A案が「脳死は死である」としている点と、本人と家族の意思さえあれば提供者になれるという点。いわばA案がもっとも革新的だということだ。

ここで、最初の二人に戻ってみよう。
心臓を移植をしたことで救えた命。一方で、その命を救った提供者(故人)と同じだとされながら、8年間生き続ける命。
A案は、後者の少年を「法的には死んでいる」と規定することになる。


出演していた勝間和代氏、竹田圭吾氏などの出演者の方たちは苦渋の決断としながらも、家族や本人に「選択権」があるA案を推奨していた。
臓器移植患者団体連絡会、日本移植学会なども「脳死を人の死としない」D案では、現状を変えることはできない、という理由で強く反対しているという。

しかしこれは裏を返せば「『脳死を人の死』と法律で決めてしまえば、親や家族が煩悶することがなくなる」ということでもあり、医学的に何かが進歩したわけではない。家族の脳裏から「昔の法律では「死」ではなかった」という思いは消えないかもしれない。

またそのA案の改訂版であるというD案は、本人の同意が不要であるため「親が子どもの死を決めていいのか」という、感情論ではなく倫理的な問題を秘めている。
本人は生きたいと望んでいても、家族と第三者機関が認めればそれが「死」となるのだ。

子どもが自分で意思表示できない、しかしもう脳は動かない(可能性が高い)、一週間以内に亡くなる可能性が80%ほどである。
その条件の下、本当に親であれば自らの子どもが「死んでいるかどうか」を決める権利があるだろうか。親が「死んでいる」と言えば、本人の意思とは無関係に、臓器を摘出されることをよしとするのか。

そして、竹田氏が番組の中で言っていたように「あなたの子はもう死んでいるのだから、臓器を提供しなさいよ」という社会の無言のプレッシャーという問題もあるだろう。

私のネット上での知り合い(のため、以下の内容の真偽は保障できませんが)に脳の研究をしていた方がいるが、その方は「病院はそもそも外科が力を持っている。臓器の移植部分に力とお金が注がれ、脳の研究費は年々削られていく。脳はまだまだ分からない事だらけだというのに」と嘆いていた。

いつの日か、臓器移植をしなくてもよいほどに医学が進歩するかもしれないが、少なくとも現在は、臓器移植でしか助からない子どもがいる。


何度も、頭の中で反芻するように考えてみるのだけど、答えが出てこない。
自分がその立場に置かれたらどうするのか。真剣に考えて、自分なりの結論を持たなくてはならないと思うのだけれど。

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