うつの人と接する際に学んだこと

タイトルの件について、たまに考えることがある。
私自身は現在うつ病ということはなく、今までにもそういった経験はない。

しかし、周囲にそういった人はいた。というか、多かった。
私は非常にハードな仕事をしていた時期があったが、その中で何人もの知人が精神を病み、会社を辞めていったり故郷に帰ったりしなくてはならなかった。

うつの人がそうでない人に与える誤解は多い。目に見えない心の病であるから、分からない人にはどうしても分からないのだろう。
やはり両者の間には根本的な考え方に違いがあり、それがお互いの誤解を生んでいるように思う。

例えば以前、同僚が精神的な理由で休職したことがあった。
その影響で、私はその人の仕事をすべて引き受けなければならなかった。

しばらく音沙汰がなかったのだが、ある日、夜中に友人たちと遊んでいることを、とあるSNSの日記に書いていた。
私は「そんなことする余裕があるなら会社来てくれよなぁ…」と当然のごとく感じた。
その時の私の価値観に照らせば「会社を休むのはよほどのこと」であり、「休職して夜遊びをする」ことなど、当然責められてしかるべき行動だった。

しかし、当人にすれば「仕事のような責任のある行動はまだ無理だが、友人と語らえるくらいには回復した」ということになるのだ。
正直、それを噛み砕くのは簡単ではなかったが、今となっては何となく理解できる。

そうして、そういった「責める」気持ちを持つことが最も悪い影響を及ぼすことを知ってからは、負の連鎖は少なくとも健康な自分の方から断ち切ろうと思えた(それでその人が早く帰ってきてくれれば、結果的に自分も楽になるし)。

「うつとそうでない人」の線引きが非常に難しいため、疑心暗鬼を産むのは残念ながら事実だ。
知り合いに一人、うつで休職中にマンションを購入し、コミケに出展するための自作マンガを書き続け、mixiのサークルの集まりには嬉々として出かけていく、という生活を2年くらいしていた人がいた。
彼がうつ病かそうでなかったのは分からないが、周りも、言葉は悪いが「腫れ物に触る」ような感じで、どう接していいのかが分からなかったのは事実だ。
結局、彼は会社に戻ることなく、そのままより条件のいい会社に転職してしまった。

そして私は、おそらくうつよりももっと悪い「境界性人格障害(ボーダー)」の人が身近にいたこともあった。
左腕に何十もの傷があり、何もないのに突然号泣したりする人だった。

その時の私は、そういった心の病気はいつか治るものだと思っていて、何とかして良くしたいと奮闘していた。
頻繁に心療内科に通って毎日大量の薬を飲んでもいたが、良くなることはなかった。

いつからか私は、これがこの人そのものなのだと思うようになった。
無理に治そうとするのではなく、ありのままの姿と向き合っていくこと。それは病気とは関係のない、人と人との接し方としてごく当たり前の結論だった。

うつ病にしろボーダーにしろ、結局はその人の「性格」みたいなものであり、何も偏見を持つことなく接することなのかな、と今では思っている。
病気じゃなくたって、色んな性格の人がいる。そういうことなのかなと。

もし休職者のせいで負担が増えたのなら、それは経営者に文句を言うべきであり、休職自体は労働者に認められた権利なのだ。
その間に何をしようが、他の人にとやかく言われる筋合いはない。

無知な我々は、時に人を傷つけてしまうかもしれない。
でもそれは誰でも同じ、それが人間関係というものでもあるから「あまり気にしない」というのはとても重要なんじゃないだろうか。

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