「ソーシャルメディア」の定義なんて人それぞれ

佐々木俊尚さんTechwaveの湯川さんを中心に「ソーシャルメディア」が熱かったので、どさくさにまぎれて自分の意見を書いてみたい。

少なくとも今の日本では「ソーシャルメディア」という言葉は2つの意味があると考えられ、荒っぽく言うと
1:ブログ、twitterなど、一般人が発する「メディアそのもの」(≠マスメディア)
2:溢れる情報の中から、知り合いを通してより良い情報をフィルタリングする「システム」

今回議論されているのは、主に2の「知り合い」とは誰なのか、ソーシャルとは何を指すのかという点だろう。

私なりの結論から言えば、別に誰でもいいんじゃね? という感じ。
リアルだろうがバーチャルだろうが、著名人だろうが無名人だろうが、自分が信用できる人なら誰でも。

まず、アメリカやFacebookの基準で考える必要はないし、日本や他の国がアメリカと同じソーシャルメディアを形成していく必要もない。
ある一面では、韓国などはアメリカよりもよほど先に「ソーシャルメディア」を形成していたと言えるし、それは「(国民番号を入力して)身元を担保した上でのバーチャル空間上の交わり」というかなり特異なものだ。
「ソーシャルメディア」という言葉は、いつ終わるかも分からない1サービスより、はるかに大きな概念ではないのだろうか。

そしてオープン、クローズドという点で言うと、ここ
 Twitter = OPEN
 Facebook = CLOSED

とあるけども、これはサービスの使い方の問題であって、オープンかクローズドかというのは「匿名か実名か」を基準に考えるべきだろう(少なくとも、Googleの検索にかかるかどうか、ではないはずだ)。
アメリカでは常識 (`・ω・´)キリッ なんてそんなことはない。

あたかも世界のすべてがソーシャルメディアで埋め尽くされる、というような人もいるけど、それも非現実的だ。どんなにソーシャルメディアが普及しても、マスメディアがなくなることはありえない。それは情報の信用度の問題もあるし、誰もが情報の一次発信を進んでやるとは考えにくい。

リアルとバーチャルを必要以上に分ける必要はないし「リアルは消滅する」なんてオカルトチックな言説もちょっと。。リアルがなくなるというのは人間関係がなくなることで、映画のような電脳世界にでも住まない限りそんな日は来ない。

余談ながら、ソーシャルメディアがより普遍的になれば「自分にとって有用な情報が意識せずとも入ってくる」という世界がやってくるだろう。それこそが、ノーベル賞を獲った鈴木章先生もおっしゃってた「セレンディピティ」に溢れた世界で、やれソーシャルだなんだと意識しなくていい日が来ると思う。

とりあえず、まだ実態が定まらないものに対して「100%間違っている」と断言するのはどうかと思うし、「そもそも社会とは何だ!」ということを、目くじらたてて議論しているようにしか見えなかったのだけども。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です