『海がきこえる』を、是非観てください

「宮崎駿が作れなかった作品」と言われる『海がきこえる』。
来週、日本テレビのゴールデンタイムで放送されると知り、これを英断した関係者の方には賛辞を贈りたい。

映画公開後も地上波で何度も放送される他のジブリ作品に比べ、『海がきこえる』は劇場公開をしていない。テレビ放送されたのも18年前にたった一度。しかも夕方だった。
私は偶然この作品を観て以来すっかりファンになり、DVDが発売された際もすぐに購入した。

前述の「宮崎駿が……」のくだりは、このDVD特典映像の中の鈴木敏夫氏の発言の趣旨で、おそらくこの(高校生)くらいの年代の心の機微は、宮崎駿には描けなかった、少なくとも苦手としている、という意味なのだろう。クリエイター魂に火がついた彼は試写会直後怒ったように席を立ち、その後すぐに『耳をすませば』という作品に取り掛かったということだ。


主人公は、高知の進学校に通いつつバイトや勉強に励む、杜崎拓と松野豊という親友同士。
そこに勉強もスポーツも優秀で、美しく、しかし誰とも交わろうとしない武藤里伽子という東京からの転校生が現れ…… というのが物語の概要。


私も含め、今でも熱烈なファンが多いこの作品が一度も再放送されなかったのは、作品中、高校生の飲酒や喫煙シーンがあるからだとも言われている。
ひと昔前であれば、そんな表現をテレビで流すことも当たり前だったが、今は絶対NG。高校生が飲酒することがよりリアルな日常であっても、違法行為を放送することはできない。英断と言ったのもそういう理由で、もしかしたら、中の人にも熱烈なファンがいるのかもしれない。

そして、作品の魅力を一層引き立てているのは役者、ここでは声優の好演だろう。
今ではすっかりタレントや俳優を起用する世界になってしまったが、改めて見るとやはりプロの声優は違うなと感じる。特に情緒豊かな世界にマッチした、淡々と静かな高知弁は、この人達は全員高知出身なのではないかと思わせるほど自然で、違和感がない。


ジブリらしい、血沸き肉踊るドラマチックな展開を期待するのは間違いだ。
はっきり言うと、作品中、まるで魔法のようなことや、奇跡的な出来事は一切起こらない。高知の片田舎の高校生の日常、しかもどちらかというと大人しい子達の日常が展開するだけだ。

でも登場人物たちはみな瑞々しく、痛々しい。
精一杯大人びようとして生意気に振舞ったりもするけれど、彼らの小さな心に抱えた辛さや精一杯さが、観ている者の胸をチクチクと刺す。


ひとことで言えば「ほろ苦い」。
正直「『海がきこえる』が好き』と公言することがちょっと恥ずかしい時期もあったが、相当な数の映画を観た今でも「青春のほろ苦さ」をここまで表現できている作品は少ないと思う。


特に登場人物たちと同じ世代、高校生や中学生に是非観てもらいたい、素晴らしい作品だ。




楽に腹筋と背筋(体幹)を同時に鍛えられる唯一の筋トレ法

年齢と共にどうしてもゆるくなってくるお腹まわり。
こりゃいかんと腹筋するものの、いかんせん、腰や背中を痛めてしまい中々続かないことが多かった。

そんな折、プロのトレーナーに教えてもらった筋トレ法がとても有効だったので書いてみます。
これだと腰や背中を痛めることもなく、かつ非常に楽にできるのでおすすめです。

やり方は、

  • 1:仰向けに寝た状態で膝を立てる
    2:両手を腰の下にいれる(できればなるべく背中に近く)
    3:入れた手を背中で押しつぶす感覚で力をいれる


  • これだけです。背中の感覚に慣れてきたら、手は入れなくてもよし。
    布団や絨毯など柔らかいところでやれば、腰と背中を痛めずにすみ、腹筋だけではなく背筋と腰、いわゆる体幹を鍛えることができます。腰痛にも非常に効果的です。

    ただ、そんなに高負荷なトレーニングではないので、慣れてきたら背中を押し付けた状態でゆっくり通常の腹筋をやってみましょう。
    普通の人なら5回もやれば苦しいはず。


    寝る前の布団の上で2,3分でできるので、特に女性などにはおすすめです。

    自殺の後始末

    いつも通りの平日の朝。
    クライアントのとある女性スタッフが自ら命を絶ってしまったというニュースは、そんな日常に飛び込んできた。

    我々は、急遽降りかかってきた膨大な仕事に追われることになった。それはほぼ一日中続いた。

    仕事に忙殺されている間、私は少し彼女を恨んだ。
    こんな風に予定外の仕事に追われているのは、彼女が突然死んでしまったことが原因だ。
    彼女は当然、そんなことは知らないだろうが。


    それほど親しかったわけではない。
    会ったのも数回きりで、よく気のつく、いつもニコニコした若い女性という印象。

    信頼するスタッフたちは皆、テキパキと事務的に業務を進めた。
    「(彼女が死んだから)ここのフォロー頼む」
    「(彼女が死んだことでできた仕事が)終わりました」

    まるで彼女はまだ生きていて、口にしたら本当になってしまう。そう信じてるみたいに。


    「彼女はもういない。そのことで発生した仕事も仕方ない、もちろんやるさ」
    それでもやはり、我々はみな大きな喪失感を抱えていた。


    「だけどどうして…… どうしていなくなってしまったのか……」



    どんな個人でも、突然いなくなれば影響が出る。たくさんの人に迷惑を掛けることになる。
    それは仕事の後始末なんかじゃなく、内蔵がえぐられるような心の痛みだ。

    皮肉なことに、その人が傷つけたくないと思っていた人ほど、その痛みは大きい。
    我々は直に通常の生活を取り戻すだろうが、彼女の家族や友人、大事な人達はどうだろう。



    時に死んでしまいたいと思うことがある。

    「死ぬ気で頑張れ」「死ぬ覚悟があれば何でもやれる」
    そう言う人は、本質を分かっていない。もう頑張れないから死んでしまいたいと思うのだから。

    自分の未来を憂い、思い悩む日々がある。自分の存在価値を疑い、自己を責める時がある。
    彼女の苦しさがいかばかりだったのか、私には知る由もない。


    だけど私は、あなたがいなくなって寂しいよ。とても。
    残された者として、あなたのいない日々を暮らしていくのはとてもつらい。


    私は誰かに喜びを与えることができているだろうか。それは分からない。

    でもただ「生きている」それだけで、誰かにこんな大きな悲しみを与えずに済む。
    それだけでも、生きていく意味っていうのはあるはずだろう。そう思わないと、もうここに立っていられない。



    さようなら。またどこかで。

    「東電・原発絶対悪」に対する違和感

    掲題の件。

    世の中的に「原発反対」ムードが漂っているが、私自身ちょっと違和感があるので書いておく。

    学生時代、日本の電気事情についてレポートを書くことになり、原発のことをほんの少し調べた。
    きっかけは単純で、なぜキケンと分かっている「原子力」に頼らなくてはならないのかと疑問に思ったからだ。私もそもそもは結構な原発反対派だった。

    結果、今の電気料金と生活水準を保つためには、CO2を多量に排出する火力発電よりクリーンで、水力発電よりはるかに優れた力を持つ原子力は不可欠であるという結論に至った。

    その経験があったからなのかは分からないけども、「東電にダマされた」「全部ウソだったんだ!」などと、突然被害者面をするのはいかがなものかなと思ってしまう。


    そもそも、原子力発電が「絶対安全」な訳がないのは少し考えれば分かる。「安全神話」なるものがあったとして、それはマスコミや電力会社が創り上げた虚像だ。
    そのリスクを冒してでも、我々は高度に安定した生活を選択したのだと思っていたのだが違ったのだろうか。

    だから、自動車事故や炭鉱事故の死者数と比べてこれだけ安全! なんてとんちんかんなことを言うつもりはない。
    比較するのであれば、原発を含めた安定した電気の供給があったことで享受できたこの40年間と、それがなかったことを仮定した社会だろう。

    極論を言えば、例えチェルノブイリのような事故が起きたとして、それで被る社会的・経済的被害と、数十年一秒も途切れることなく電気を受容し続けることの価値を比較し、後者の方を我々自身が判断したのではなかったのか。
    子どもは別として、有権者であれば「そんなことは知らなかった」では済まされないはずだ。


    もちろん、原子力に替わる安全でクリーンなエネルギーがあるなら模索すべきだと思う。
    しかし、否定するなら代案を出せではないが、ただ安易に「原子力をやめろ」というだけなら誰にでもできる。

    例えば電気料金が今の2倍になったとして、おそらく大多数の世帯はそれを支払っていけるだろう。しかし、日本の電力の4割を占める企業にとっては相当な負担となるはずだ。
    益々企業の日本離れが進み、そのうち国内に仕事がなくなり、日本人の多くが中国やブラジルに出稼ぎに行くのが当たり前になるかもしれない。

    脊髄反射的に「原発反対」を唱える人は、本当にそこまで考えて発言しているのだろうか。大げさだけども、炭で料理を作り、薪で風呂を沸かす生活に戻っても構わないと覚悟している人はどれほどいるだろうか。


    3.11は日本人にとって非常に大きな意味を持つ。我々はここから自分たちの生活を後退しても已む無しとするか、リスクを抱えても今の生活水準を守っていくべきか、一人ひとりが判断しなければいけない必要に迫られている。

    寄付をやめて、株を買おう

    東北地方太平洋沖地震の影響で、先週の日経平均は大混乱の様相を呈した。
    15日の下落率はリーマン・ショック時に次ぐ過去3番目、一時はブラック・マンデー時にも迫ろうかという暴落ぶりだった。

    しかしあくまで個人的な意見だが、私も世界一の投資家ウォーレン・バフェット氏に同じく、これは完全に市場の動揺だと考えている。


    日本の市場に多くの投資をしているのは外国人投資家だ。その割合は、20%から多いときには50%を超えることもある。

    今回の暴落は、その外国人投資家の日本経済への悲観論と、原発の問題が予想以上に長引くのではないかという憶測(言い換えれば、政府主導による情報公開の失敗により、要らぬ心配を与えてしまったこと)が大いに関係していると思われる。
    それによって引き起こされた国内投資家のパニック売りで、売りが売りを呼ぶ展開になってしまった。


    賢明な外国人投資家はすぐに戻ってくるかもしれない。しかしそうでなければ、しばらく日本市場はキャッシュが不足し、経済が停滞する負のスパイラルに陥る可能性がある。

    だから今こそ、経済の面で日本人が日本を支えなくてはいけない。真の復興は、再び正常な経済生活を送れるその日にあるのだから。

    もちろん、寄付も大事だ。被災者の方々にとって今最も必要なことは、ダイレクトに援助が届く寄付金だろう。
    しかし長いスパンで見れば、家や職を失った人が再び働ける場所があること、モノを作り、それを売って、生活の糧とする日常が戻ることが何よりも重要だ。


    今回の被災で大打撃をくらったのは個人だけではない。企業も大きな痛手を蒙った。このまま市場にキャッシュが不足すれば、多くの企業が連鎖的にバタバタと倒れてしまう。

    言葉は悪いかもしれないが、どうせあげてしまうなら、なくなってもいい気持ちで信頼できる企業に投資してはどうだろう。
    そうして企業が持ち直して利益が出れば、そのお金をまた投資に回すのもよし、寄付するのもよしだ。我々の戦いは、思っているより先が長い。


    当初は同情的だった海外の報道も、今は日本経済への悲観論に変わりつつある。

    たしかに、我々は大事な多くのものを失ってしまった。悲しみに沈み、もう一歩も前に進めない人もいるだろう。
    しかし、皆がそうではないはずだ。辛く苦しい日々を送る人たちのためにも、このまま終わる国じゃないことを証明しなければ。復興へと歩を進め、底力を見せる時だ。


    だから今こそ、日本株を買おうではないか。

    Page 2 of 2612345...1020...Last »