死者数ばかりに目が行く自分に自戒を込めて

以下、自分のことを棚にあげて言います。

この未曽有の危機の中、テレビで報道されるのは「死者・行方不明者の数が何人に達した」「原発から放射能漏れの危険」ばかり。
自分も含め、こんな時はついネガティブな情報に目が行きがちになる。目に見えてショッキングだからだろう。

しかし、これだけ横並びで同じような報道ばかりしているのなら、民放のひとつくらいは被災者の方向けに情報を流したらどうだろうか。

自衛隊は今どこに向かっています、いつ頃までに物資が届きます、各企業が身を削って支援を表明しています。
それらは寒さに震える被災者の方に伝わっているのだろうか。テレビやラジオが見られない、というのは別として。

そもそも、ミッシングリストを放送しているのだって、教育テレビだけじゃないか。
被災者や関係者が今一番知りたいのは、身内の安否だろう。

不安に押しつぶされながら、今も助けを待っている人たちがいる。
その人達を救うべく、昼夜を問わずに命がけで立ち向かう人達がいる。


既に16,000人の方が救出されたこと、100以上の国と地域から支援の申し入れがあること、それを知っている人はどれだけいるのか。それがどれだけ被災者の方の希望になるか。
このたった一枚の写真が、どれだけの人を笑顔にさせるだろう。


たとえ福島原発がメルトダウンしたってチェルノブイリ事故のようにはならないことを、むしろその後の電力供給不足に対する懸念のほうがはるかに大きいことを、どうして報道しないのか。どうして不安ばかり煽るのか。こんな時でも、考えるのは視聴率のことばかりなのか。CMだってないのに。


それができないなら、民放局こそ輪番停電してほしい。

あるベテランエンジニアの終着駅

先日、以前勤めていた会社の上司たちとお会いする機会があった。
今では全員が転職しており、各自がそれぞれ選んだ道と当時の裏話を懐かしく語った。


当日は不在だったのだが、その会社にはとあるベテランエンジニアの方がいた。私は直属の部下ではなかったが、エンジニアたちをまとめる長だった方だ。

とにかくコワイ人で、相手が取締役だろうが社長だろうが奮然と立ち向かい、大声を上げる。立派なヒゲを蓄えのしのしと歩く姿は、ペーペーだった私ならずとも畏怖すべき存在だった。
技術一筋、それ以外の尺度はこの世に存在しない。そういう人だから、部下たちの信頼は篤かった。


その会社はとある外部事情で大きな赤字を抱えており、起死回生、乾坤一擲のプロジェクトをいくつか走らせていた。我々はそのうちの一つを任されており、それはもう朝もなく夜もなく働いた。

しかし、残念ながらうまくいくことはなかった。どうしても続けたかったワガママも届かず、経営陣はプロジェクトの中止を決めた。
それでもなおあの方はヒゲを震わせて怒りまくっていたが、その頃から立場は怪しくなってきた。


きっと随分前からみな気づいていたんだ。その方がもう時代遅れの技術しか持っていないことを。もしかしたら、その人自身も。
この世界の変化の速さについて行けなかったのだ。新しい技術を身につけ、理解することができなかった。

豊富な経験は寂れた過去になり、使い物にならなくなった。メンバーの意気が下がり始めたのと同時に、求心力も急速に下降していった。


選択と集中という言葉を出すまでもなく、我々は社内でうまくいっている部署へと散り散りになった。
そしてその方を含めたベテラン勢は、今までの半分以下の年俸を提示され、事実上のリストラとなった。


そんなみなさんが、今でもバイタリティに溢れ、たくましく活躍されていたのは頼もしかった。
ただ一人、経営に携わることもなく、営業の経験もなく、でも社内では人一倍恐れられていたあの方だけは、どこにも行けなかった。


彼は先日、出家したそうだ。
ご婦人や、成人したお子さんとはもう一緒に暮らしていないという。


私はそれを聞いた瞬間、思わず大声で笑ってしまった。
あのカミナリ親父が坊さんになったのか。年の割には艶のあった髪の毛も、全部剃り落としてしまったのだろう。あのヒゲも、きっとすっかりなくなっているに違いない。想像しただけでおかしかった。

笑って笑って、笑いすぎたあとに泣けてきた。
あれだけの部下を抱え、あれだけ自分の仕事に誇りを持ち、そしてあれだけ怖かった、技術一筋に生きてきた人が最後にたどり着いたのが出家とは。現実とは、かくも厳しいものなのか。


先のことなど誰にも分からない。自分らしく生きていくために今からできることはなんだろうか。
深く考えさせられた夜、空には月が浮かんでいた。

セカイカメラは、ソーシャルゲームの波に呑まれてしまった

最初に、私はソーシャルゲームを否定も肯定もしない。
様々な問題をはらんでいるのは確かだが、スキマ時間に暇を潰したり、友達と楽しんだりするのに使っている人も大勢いるだろう。コミュニティサービスは、どんなものでも功罪双方の面がある。

以前に「セカイカメラは飽きる」というエントリを書いておいてなんだが、ARは確かに未来を感じさせる「何か」だった。


世界中のベンチャーが集まる、TechCrunch 50を熱狂させた「セカイカメラ」
あれから数年の歳月が流れ、結局は日本のモバイルソーシャルゲームの波に呑まれてしまった。

頓智ドットがGREE向け第一弾と銘打ち、ソーシャルゲームを発表した。

会社として経営していく以上、お金を稼がなければならない。だからこそ、今の日本で最も収益化の期待が持てるソーシャルゲーム市場に出ることは、経営者として賢明な判断だ。
しかしやはりARでは、リアル世界でマネタイズすることは難しかったのか。

頓智ドットは、他にもたくさんのサービスをリリースしている。今後もきっとそうだろう。
しかし、私たちに崇高な未来を見せてくれた同社は、今後GREE向けにやモバゲー向けにゲーム開発するベンチャーの一つになる。これは間違いないと思う。


AR、ひいてはセカイカメラには、確かに未来を感じさせるものがあった。
今までの常識を、我々の生活を根本から覆す何かがそこにはあるのではないか。そんな「何かやらかしてくれそうな」期待があった。

それが私の勝手で過剰な期待だったといえばそれまで。
ただ、未来がまた少し遠くなってしまった気がした。

ブサイクでもモテる理由は「ポジティブさ」にあった

「※ただしイケメンに限る」が流行語になったのは、はや一昨年のことだが、世間には「ブサイクだけどモテる」と言われる人がいる。先日、まさにその属性の人とじっくり話す機会があったのだが、とても興味深い話が聞けた。
そして結果的に、彼がモテるのはその底抜けの「ポジティブさ」にあると分かった。

まず、
女性を誘うときに考えること
・女性からは誘いづらい
・向こうは誘いたいと思っているかもしれない(←多分たいがい思ってない)
・例え断られても、恥をかくのは自分でいい
・何なら、向こうのモテモテ話の一つに加えてくれればそれでよし

という、大変前向き?なものだった。これだけでも強靭なハートを持っているなぁと感心した。

次に、
誘いに対して中々返事がなかった場合
・たまたま、たくさんの偶然が重なって返事が遅れている
・忘れてしまった(そしてそれは仕方ない。まだ自分は相手にとって取るに足らない存在だから)
・病気とかしてるかもしれないからむしろ心配

という、踏んづけてもしがみついてくる姿勢に感嘆した。
しかし、さすがに一ヶ月も二ヶ月も返事が来ないと彼も後ろ向きになるそうだが、「もうダメかもしれないけど、ここで終わる訳にもいかない。進むしか選択肢がない」と自分を奮い立たせ、迷惑でも今一度チャレンジするのだそうだ。

ちなみに断られた理由で多いのは、
1位:仕事が忙しい
2位:体調が悪い
3位:予定が合わない


という感じで、中には「今気分が落ち込んでいるので、無意識に傷つけてしまいそう」「ペットが病気」「長期旅行する」「留学する」という、明らかなウソもあったが、それを信じるのが礼儀だし、自分が傷つかないための防衛策なんだとか。


ただ単にしつこい男と思われないのか、そこまでしてダメだったら辛くないのか、と聞くと「辛い時もあるが、別に努力してるつもりもなく考え方を変えただけ。それに、イチローとかすごい人に比べれば大したことはない」という、深いんだか意味不明なんだか分からない回答をもらった。

彼はそれほど話術に長けているわけでもなく、俗にいう「コミュ力」が際立っているとも思えない。
ただ、何というか憎めない人の良さがあって、こんなに女の子の尻を追いかけていても、何故か同性からも異性からも好かれるのは確かだ。


このポジティブさは誰もが持てるわけではないけれど、何だかちょっとだけ見習いたい気持ちにもなった。

「すきま時間」の奪い合いからWebビジネスを考える

娯楽に関するWebビジネスについて「すきま時間をいかに奪うか」をキーに考えてみた。


テレビ、新聞、ラジオなどの旧来のメディアも、基本的には暇な時間をいかに奪うかが目的であった。
昔、皆が巨人戦をテレビの前で観戦したのは、野球中継しか娯楽がなかったからとも言える。バラエティ番組もしかり。

しかし今はその可処分時間に対してネットというライバルが現れた。ブログ、SNS、twitterなど、人々はすきま時間に新たな娯楽を覚えたのだ。

そういった意味では、モバイル端末はまさに格好のデバイスだ。移動中、就寝前、休憩時間など、肌身離さず持ち歩くこの端末には、まだ様々な可能性が眠っているだろう。

今や社会現象ともなった「ソーシャルゲーム」も、ゲームとして見れば非常に単純なものばかり。いわゆる「ゲーマー」達が「クリックゲー(クリックするだけの単純なゲーム)」と揶揄するものである。
例えばPCゲームの歴史を紐解くと、このクリックゲーは極端に嫌われた。PCでゲームをするようなゲーマーには、あまりにも物足りないからである。ゲーム開発者たちは、ゲームシステムをより複雑に、グラフィックをより洗練させることでユーザを満足させようとした。

しかし多くのマジョリティには、その複雑さは到底受け入れがたいものだった。結果、誰にでもできるほど単純で、暇な時間を埋められる「クリックゲー」が賛辞をもって迎え入れられたのだ。

ただそのクリックゲーも、家に帰ってリビングでやる人は多くないと考えられる。PCやテレビ、その他多くの魅力的な娯楽に対し、その手軽さは一気に「いつでも出来るもの」に格下げされてしまうからだ。

YouTubeやニコニコ動画などの動画コンテンツもしかり。PCも含め、小さな端末で見るのに2時間の映画は適さない。2、3分、長くて10分程度の面白く手軽な動画を求めて、人々は端末を操る。
旧来型の考えに凝り固まっていると、いかにして映画やテレビなどの旧来のソフトをネット経由で見せるかにこだわってしまう。もちろんそれも将来的に大事だが、今この瞬間に求められているのはもっと手軽に見られるメディアであり、ソフトなのだ。


それでも、ソーシャルゲームやニコニコ動画をやらない人もまだまだ多い。この次に来るものは、果たしてなんだろうか。

手軽、短時間、暇つぶし


これらをキーワードにして考えると、次の波が生み出せるかもしれない。

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