[映画]人生に乾杯! ガーボル・ロホニ監督

評点:55点(100点満点中)

DVDにもなりにくいだろうハンガリー映画ということで、映画館で観てきた作品。大分前になるけどレビューを。

年金暮らしで細々と暮らす老夫婦。若いころ、劇的な出会いをした二人だったが、その愛情はとっくに冷めていた。
ある日、ケンカの末に家を飛び出す夫。アパートの家賃も払えなくなった彼は、何と銀行強盗をしてしまったのだった。

そのことを知った妻は夫を説得に向かうが、何と二人して強盗をすることになってしまう。
二人を追う刑事との駆け引き。そして、意外なラストへ。

当然、ハリウッド映画のような緊迫感はなく、正直間延びしたシーンも多々ある。
しかし、二人の「老人」が醸し出す落ち着いた雰囲気と淡々とした描写は、非常に安心して観ることができる。
強盗という犯罪を犯しながらも、どこか憎めない二人。実際に、映画の中でも彼らは徐々に英雄視されていく。

多くを語らない。許されないはずの犯罪を犯している。
それでもなぜか許しあう二人の間には、長年連れ添ってきた絆の深さが横たわっていることを感じる。

ただ、特にラストなどはちょっと突っ込みどころが多すぎて、大雑把かな、という印象。
細部まで作りこむ必要はないにしろ、もう少しつじつまを合わせてくれると、観ているほうは気持ちよかったと思う。

この作品を「ハートウォーミング」という人がいるが、私は「ブラックジョーク満載」だと感じた。
観ている立場によっても違うのかもしれない。興味のある方はぜひご覧ください。

[映画]フィクサー トニー・ギルロイ監督

評点:35点(100点満点中)

ジョージ・クルーニー演じる主人公は、世界をまたにかける巨大弁護士事務所の「フィクサー(もみ消し屋)」。クライアントの指示とあれば、交通事故でさえもみ消す。

そんな折、巨額の賠償金がかかった案件を担当していた、彼の親友でもある有能な弁護士が突如、原告側の味方につこうとする。
それは、彼が被告側の大企業に非があることが分かってしまったからだった。

しかし、クライアントは大企業。主人公はそんな親友を止めようと動き出すが…

陰影をうまく活用し、重厚感漂う作品。早口でまくし立てるしゃべり方など、ジョージ・クルーニーは敏腕弁護士をうまく演じていた。

しかし、残念ながら作品としては薄っぺらい。主人公の個性(ギャンブル好きなところもまったくの無意味)、登場人物の動機、ストーリー展開…
井筒監督が映画の批評をしていたTV番組で「これなら日本の2時間ドラマの方が面白い」とよく言っていたが、正にそんな感じ。画のカット割りも単調で動きがなく、テンポも良いとはいえなかった。シナリオ、監督、編集さえ違っていれば(ほとんどか…)かなり違った作品になっていたことだろう。

役者の芝居が良かっただけに残念。

[映画]いのちの食べかた ニコラウス・ゲイハルター監督

評点:63点(100点満点中)

食の現場とそこで働く人々を淡々と映し出した、ドキュメンタリー映画。台詞は一切なし。

野菜や果物を摘み取る姿はもちろん、豚や牛を屠殺していく様もはっきりと撮影されている。
死の恐怖におびえて暴れる牛。しかしオートメーションの巨大な機械に乗せられ、流れ作業の中、空気銃で頭を打ち抜かれ一瞬で屠殺される。体は半分に裂かれ、内臓を丁寧に取り出されて次第に我々が見慣れている肉製品の形になっていく。
非常に淡々と作業をこなす人たちの姿が、その様子をより際立たせていた。

ややもすると目を背けたくなるような描写だが、画面は落ち着いていて、美しくすらもある。おそらくいくつかの撮影技術を多用しているのだろう。そのあたりは監督や編集の手腕だと思う。

食肉の加工や、食物の生産現場に直接居合わせない私を含めた多くの人々は、スーパーでパックに入った肉片しか見ることがない。テレビでは、油の滴る高級な肉を映し出しては「おいしそう~」とタレントたちが笑っている。

それはそれでいいと思う。しかし、我々が食べているのは紛れもなく牛や豚という動物だ。それは、紛れもない命の塊だ。確かに、我々に命を与えるために生まれてきた命ではあるけれど。

そこには、毎日動物の血にまみれながら働く人々がいる。そして、いつか我々の命をつなぐために今生きている命がある。ついぞ忘れがちで、あえて目を背けようとしている真実を、改めてみてみようという勇気がある方は、ぜひご覧になることをオススメする。

月並みだが、これを観た後では肉の一枚も無駄にしてはいけないのだと、改めて認識できる。子どもに見せるべき映画だと思う。

[映画]善き人のためのソナタ フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督

評点:92点(100点満点中)

東西分裂時代の東ドイツ。言論や思想を統一する役目を担っていたシュタージは、ある劇作家が過激な思想を持っているとの情報から、24時間体制での盗聴を行う。

そのシュタージの権力者で国内の演劇界を牛耳る大臣は、その作家の恋人で美しい女優を我が物にするため、弱みを握っては情事を重ねようとする。

盗聴を担当した、物語の主人公ヴィースラー大尉は、日を重ねていくうちに自らの業務に疑問をもつようになり…

主人公は、スーパースターもヒーローでもない。ただ組織の命令で忠実に任務を全うしようとする、実直で孤独な男だ。
その男を通し、東ドイツという特異な社会情勢と、いつの時代も変わらない人間の内面を深く、鋭く抉りだしている。

権力、性欲、金銭欲、そして自由への渇望。
それだけではない。悲哀、愛情、信頼、傲慢など、この作品で描かれる人間の姿は数限りない。普段、誰もが心のうちに秘めていて表には出さないような感情を丸ごと外に引っ張り出されるようで、思わず心を背けたくなる。観ているだけで、自分の内面を見透かされているようで胸が痛むのだ。

正直、今までこの作品を観なかったことを後悔した。今まで観てきた映画の中でもトップクラスに入るほどすばらしい作品だった。

確かに、終盤において展開が急速になり、テロップによる「そして○年後」が多用されているが、それもあまり気にならないほど、作品として完成されている。

もし未見の方がいれば、すぐにでもご覧になって欲しい。特に中高年の男性にオススメだ。きっと、涙なくては観られないだろう。

そしてこれは裏話だが、何と主演のウルリッヒ・ミューエは、私生活で実の奥さんに密告され、本物のシュタージに監視されていたという。同じ時代を生きていても、これほどまでに背負う過去が違うのかと慄然とする。そんな彼が演じるからこそ、このように深い味わいのある作品に仕上がったのだろう。そして、それを監督したのが1973年生まれの若い才能であったことも付記したい。

2006年のアカデミー外国語映画賞を受賞。しかしその後すぐ、主演のウルリッヒ・ミューエは胃がんで亡くなられた。
正直、彼の作品をもっと観たかった。

[映画]『ハプニング』 M・ナイト・シャマラン監督

評点:50点(100点満点中)

『スチュアート・リトル』『シックス・センス』などでお馴染みの、M・ナイト・シャマラン監督の2008年作品。

あらすじは、ある日突然原因不明の自殺が多発し、みながその恐怖におののくというもの。
人々は、理由もなく突然ビルから次々と飛び降り、銃口を頭に向け始める。

個人的にも注目株の、マーク・ウォールバーグ扮する主人公は、その「目に見えない恐怖」から妻と親友の子どもを守りながら逃げ惑う。

世間が不安定だとパニック映画が多くなるといわれるが、これもその中のひとつだろう。
とにかく得体の知れない、立ち向かう術もないような「絶対的な」ものから逃げまくる映画だ。

恐怖感のあおり方は、こういう言い方は語弊があるかもしれないが「品がある」という感じ。
劇中では何百人という自殺体が出現するのだが、グロテスクということではない。思わず目を背けたくなるような場面を、あくまでちょっとずつ挟み込むことにより、ただのスプラッター物とは一線も二線も画す作品だ。

殺人鬼に追われるわけでもなく、誰かから殺されるわけでもない。ただ「自ら死のうとしてしまう」という常識ではちょっと考えられない恐怖感を、うまく表現していたのではないだろうか。

しかし、この映画でどうしても許せないシーンがある。中盤、子どもがライフルで撃ち殺されるところだ。
病気や事故、または明示的に表現する場合は別として、「子どもの死」というのは簡単に用いられるべき表現ではない。
駄作ではあったが、以前レビューした『ミスト』のように、それに意味があるのであればいい。しかし今回の場合あのシーンで子どもがいる必要はなく、ただ観客の不安感を煽るためだけに子どもが使われた。

ハリウッドでも日本でも、映像制作を心がけるものにとって暗黙の了解ではなかったか。そんなタブーを犯してまで作品を盛り上げようとする、逆にそうすることでしか盛り上げることができないのならば、監督の力量不足といわざるを得ない。

私はそのシーンひとつで一気に気分が悪くなってしまったのだが、作品としては決してつまらないということはないので、他に観るものがないなぁ、なんて時に観てみるのはいいかもしれない。

以下はネタばれなので、未見の方はご注意ください。

それにしても、この手の映画で「結局、原因がなんだったかは分からない」というのはどうなんだろうか。
突然人々が自ら死に向かう、というショッキングな内容であるにもかかわらず、その原因がよく分からないという。植物のせいかもしれないが、はっきりしない。大勢でいると罹りやすいという、明らかに帳尻あわせの性質。

サスペンスやホラーで観客を怖がらせるのは、数々のテクニックがあるので比較的簡単だ。
しかし、観客が納得するようなラストにするにはどうすればいいのか、ということにみんな頭が爆発するほど悩むのだ。

だからこういうのが許されてしまうと、何でもアリになっちゃうよね、という感じもしないでもない。それこそ夢オチでも何でもよくなってしまう。

個人的に、こうして結末を観客にゆだねる映画が好きではないからかもしれないけれど。