コートジボワール戦の松木解説が、完全にファミコン版キャプ翼の件

今週から始まったサッカーW杯。

FIFA公式スポンサーのアクエリアスでは、「松木安太郎生解説」という企画をやっていた。
放送がNHKということもあり、松木さんの応援(≠解説)も聞けないだろうなぁと思っていたので、松木ファンの私としてはちょっと楽しみに見ていた。


かの名言「ゴールをずらせ」こそ出なかったものの、いつもの擬音語連発や、底なしのポジティブ応援(≠解説)が冴えていたのだが、途中から何だか様子がおかしくなってきた。



相手の19番……
ヤヤ・トゥーレのことか。
確かに、出場が不安視されていたけど、何も番号で呼ぶことないのに。
まぁ、興奮した松木さんらしいけど。



日本の5番……?
松木さん、長友の名前をど忘れか……?



顔を縫ったばかりって……
そんな細かい情報まで知ってるのに……



これは大久保が交代で入った時。


結局この「松木解説」では、本田圭佑選手以外すべて背番号で、一度も名前が出なかった。

松木さんの魅力は、素人が場末の酒場で観てるような解説だと言われるが、さすがに選手の名前を忘れているはずはない。
おそらくこれは、権利の都合で、コカ・コーラ社と正式に契約している、本田選手以外の名前を出せなかったことが原因だろう。

それに、明らかに予め用意していたようなツイートを1秒間隔でつぶやいていたりしたし、松木さん本人もいなかったんじゃないかな。


何はともあれ、残念ながら日本は逆転で負けてしまったけれど、ぜひ次のギリシャ、コロンビア戦に向けて切り替えて欲しいところ。



それにしても、どっかで見たことあるなぁと思っていたら、これでした。
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可視化されたのはバカではなく、義憤に燃えた人たちではないか


「バカが可視化される時代」とどう向き合うか
「うちら」の世界


この二つの記事の「バカをやっちゃう人」については、ほぼ同意見だ。彼らは昔から一定数以上いたし、これからもいつづける。
視野範囲は狭く、ネットに顔写真を載せることの本質をきちんと理解していない。リアルで干渉されないのに、なぜネットではこんなに袋叩きに遭うのか、その感覚もよく分からないだろう。

そういう意味で「バカが可視化した」というのは確かにその通りだけど、おそらく、もっと明確に我々の目の前に現れた、今まであまり見えなかった人種というのは、「義憤に燃えた匿名の人たち」ではないだろうか。


夏の暑い日、客がいないコンビニで、店員が悪ふざけでアイスのケースに入っていたところを偶然目撃してしまった。
見てみないフリをする人もいれば、不快感で店を飛び出す人もいるだろう。中には、バカだなぁ~、と思わず笑ってしまう人もいるのではなかろうか。

しかし、その場で激怒して猛抗議し本社に電話までかける人は、感覚的にはそれほど多くないように思う。
なぜなら、その場を抑えた写真でも撮っていない限り証拠もなく、味方も皆無だからだ。店員が否定すればそれで終わってしまう。振り上げた拳をそっと振り下ろすのは、ちょっとした敗北感すらある。

その点でインターネットという装置は「義憤に燃える匿名者」にとって大変有利なものだ。

糾弾するための紛れもない証拠がある
怒れる自分は大勢側の人間である
悪いのは絶対的に相手であり自分には一分の非もない
名前も顔も晒すこともなく思う存分相手を攻撃できる


という好条件がそろっているのだから。


「悪いやつを成敗したい、批判したい、正義を振りかざしたい」という欲望、間違っていることを糾弾したいという欲求は誰もが持つだろう。そして、一部の人はその欲求レベルがとても強く、犯した過ちの大小に関わらず、相手を可能な限り不幸のどん底に陥れたいという欲望を持っている。これは、分かっているのにバカなことをやってしまう人たちと同じく、一定数以上存在するのだ。残念ながら。


私は、ネットはすべての現実社会を拡大する機能がついた装置だと思う。だから「バカだけが目立った」のではなくて、今までもそういった「糾弾する世間」というのはあったのだけど、それが非常にうまく機能するようになった、ということではないだろうか。


だから「バカやっちゃう人たち」や子供には、そのような「世間」の存在を説き、「何だかわからないけど、ネットでやらかすととにかく恐ろしいことになる(でも良いことをすればその逆にもなるよ)」と教えておく必要があるのかもしれない。

会社や学校をクビになり、下手したら自殺まで追い込んでもなお、嬉々とした快感を覚える人がいる。これはもう仕方ないのだ。躊躇もなく人を殺す人がいるのと同様、世の中にはそういう類の人がいる。残念ながら。


では、誰もがこういった発信力を身につけた今後の社会は、一体どうなるだろう。あらゆることが規制され、ガチガチの生きにくい社会が出来上がるだろうか。

私は、結論からすると「慣れる」だろうと思う。
人間の「慣れ」耐性はなかなか恐ろしいものがある。飛行機だってネットだって、少し前ならとても信じられない代物なのに、我々はもうそれがなくては生活できない。


今までは「近所のバカ」だった人が、「ネットのバカ、世界に公開したバカ(褒め言葉)」になるだけで、なくなることはない。社会的な糾弾もそれなりに受けることだろう。しかしそれが当たり前になると、世間はあっという間に飽きて「またか。まぁそういう人もいるよね」程度の状況になるのではなかろうか。
だって、コンビニの冷蔵庫に入るくらい、別に大したことじゃないでしょ?

デマを信じさせ、上手に拡散させる方法

twitterやfacebook、いわゆる「ソーシャルメディア」の発達で、誰もが簡単に情報を発信できる時代となった。
とっておきのネタや、手に入れた特ダネを披露して、他人に承認されるのはとても気分がいい。

たとえそれに信ぴょう性がなかったり、仮にまったくのウソだったとしても、自分の承認欲求には代えられない。

そこで今日は、デマをうまく信じてもらうための方法をまとめてみた。

当然のごとく語る

最も簡単なのが、このまるで常識のように語る手口。
さも当たり前のごとく断言すれば、情報ソースを提供する必要もない。

受け取った側に「こんなことも知らないなんて恥ずかしい」と思わせたらもう勝ちである。

「○○が△△教の信者っていうのは、有名な話だからな」
「まぁXXが体に悪いのは、誰でも知ってると思うけど」



有名人の名前を出す

情報に信ぴょう性を持たせるために、有名人の名前を出すというのは最もポピュラーな方法だ。
この場合「その人がいかにも言いそうなこと」であると効果はさらに高まる。

「この間ドコモの部長が講演で言ってたけど、iPhoneは今年中に出るらしい」

最近では、twitterでRTさせるという手もある。名のある有名人がRTしたとなれば、その情報に箔が付くことはうけあいだ。
「福島小学生が原発放射線で死亡」 坂本龍一ツイッターでデマ「拡散」



別の情報を否定する

まず否定から入り、信ぴょう性を持たせるパターン。
否定される情報もデマで構わないため、かなり簡単に効果を最大化できる。

「○○が前科者だっていうのはデマ。実際はその友人の△△」

最初の情報をあえて大げさにし、信じやすくさせるという技術もある。

「○○病院が急患を30人診断拒否したってのはデマ。本当は5人」



混乱に乗じる

最近では、東日本大震災後によく見られた手法。
みなが正確な情報を求めている時に、それらしいことを発信すれば、信じてもらえる可能性が高くなる。

「イソジンを飲むと、放射能対策になる」
「総務省の幹部はもう全員九州に避難している」



いかがでしたか?
これらを駆使して、うまく承認欲求を満たしましょう。

ただ、ネットの世界は匿名だけど、本気で調べようと思えばできちゃうから、くれぐれも気をつけましょうね。

これ以上Twitterを続けたら弱い人間になる気がしてやめた

当ブログにもあるが、個人的に使うためのTwitterアカウントがもうひとつあった。
実名は出していないが、自分のアイデンティティーを理解している人を中心にフォローしあった。

必要に迫られて始めたものの、確かにこれは面白いと感じた。
いつの間にかTLを毎日眺め、寝る前にはすべてのレスを確認し、自分の発言にRTがつけば喜び、@つきの発言には丁寧に返信していった。
要するに、はまっていたのだ。


しかし、ある時ふと思った。
このままでは、自分はゆっくりと崩壊していくのではないか、と。

私が尊敬している人の一人に、Web系を生業としているにも関わらず、Twitterをはじめとしたソーシャルサービスをまったくやらない方がいる。
彼女はいわば貝のような人で、交際範囲も広くはない。
しかし、自分が深く愛する人たちに囲まれ、とても幸せに暮らしている。

きっと「Twitterとかやってくださいよ」と言っても「そうね。でも私はいいわ」と笑顔でかわされてしまうだろう。

そういった生活がしたいわけではないけれど、ひとつ確かなのは、彼女が強靭な精神力を持ち、とても満たされていることだ。


自分を振り返ってみると、やはり愚痴や不満の類が少なからずある。
不快な思いをしたとき、何となくそれを吐き出したくて、慰めてもらいたくて、携帯電話やパソコンに向かう。

それは不満を発散するためにも正しい使い方の一つであり、否定するつもりはない。
ただ、あくまで個人的に、こんなことを続けていたら、嫌なことを飲み込めなくなる体になってしまうのではないかと思った。
彼女、もしくは多くの人のように、何かあってもぐっとこらえて、家事やら炊事やらいつもの日常を淡々と続けていける人ほど、強い人間なのではないかと思えてきた。

そして、自分のつぶやきはほとんどが「ネタ」系のものだった。
面白いことを発見したとき、思いついたとき、誰かに笑ってほしくて「ネタ」を投下し、反応があれば素直にそれを喜んだ。
しかしそれは、目の前にいる友人と世間話をしているのとは何となく違うのではないか……

思い出話を、近況を語り合って笑いあうのはその場の時間を楽しむためが主。
これがネット上では、自分の欲求や胸の空白を埋めることが主なのではないか。たとえば、渾身のネタに反応が薄ければ、理不尽としか言いようのないいらつきを感じた。

それに、自分の意見に共感を得て、賛同してもらいたくて、賞賛してほしいのは、そもそもこんなちっぽけな場所じゃない。
もっと労力をかけた大きなものを作ってそれを公の面前にさらし、これこそが私がやりたかったものだ、私が生きている意味なのだと強く言いたい。だからこそ、私は生きているはずだ。Twitterでそれを切り売りしている場合じゃないはずだ。

そう思い、今までの書き込みをすべて消してTwitterをやめた。


もしかしたら、いつの日かまた「戻ってきちゃいましたwww」なんて言って再開するかもしれない。私は弱いから。

しかし少なくとも今は、辞めてよかったと思っている。
今まで、一瞬の感情の動きだけで喧騒の中に吐き出していたものが、自分の血肉になっていくように思えている。

私はこうして、twitterアカウントを乗っ取られました

先日、このブログ用に使っていたtwitterアカウントをハックされてしまった。しかも2回も。

どなたかが当ブログのcontactフォームを通じて教えてくださり、気づいた(その節はありがとうございました)。
慌てて確認してみると、確かに見覚えのない英語のメッセージと怪しげなリンクがtweetされていた。消そうにも、パスワードまで変えられており、ログインできない。
しかし、twitterから登録メールアドレス宛に以下のようなメールが届いていた。

20100311

要約すると「あなたのアカウントが乗っとられた可能性があるので、パスワードをリセットしました。このリンクからパスワードを変えてください」という感じ(それにしても、この中途半端な和訳はいつ直るのかな…)。

どうやら、アカウントハックにあったことがtwitterには判別できるらしい。やはり、無差別に攻撃しているのだろう。
でないと、こんなに地味なアカウントを狙わないだろうし。

比較的短めのパスワードであったので、かなり長く、かつ複雑なものに変更した。

しかしながら、3日後にはまた乗っとられた。
ただ不思議なことに、上記と同じ「パスワードをリセットしました」的なメールがきたものの、実際には変わっていなかった。

twitterのアカウントハックは、フォロアーの人に迷惑メッセージを送りつけることもあるというので、これはもうアカウントを一旦消そうかなとも考えたのだが、とりあえずその前にメールアドレスを変えてみることにした。
というのも、このtwitterアカウントを登録したメールアドレスは、twitterのアカウントとほぼ同じ文字列のものだったからだ(公開はしてないんだけどなぁ…)。
そして、ためしにパスワードも最初のものに戻してみた。

それから10日ほど経ったが、今のところ無事のようだ。
結局何が原因だったのか分からないのだが、とりあえずパスワードだけではなく、登録のメールアドレスも十分ケアしなければいけない、ということは学んだ。当たり前のことなのかもしれないけども。

ちなみに、twitterの拡張機能で使っていたのは、Firefoxのアドオン「Echofon」のみ。
もちろん、他にも原因は考えられるけれども、アカウント名と同じメールアドレスを使っている方は結構いらっしゃると思うので、念のためお気をつけください。