ヤンキース松井選手に対する、twitter上の反応まとめ

いやぁ~、松井選手やりましたねぇ。
世界一のチーム・ヤンキースに入ってワールドシリーズに勝つ。そう公言していた夢を本当に叶える姿を見ていると、言葉にできない感動というか、何かすごいものを見せられたような気がします。まさかWSのMVPに日本人が選ばれる日が来るなんて、思ってもみませんでした。

興奮のあまり、twitter上で「matsui」について言及している発言をザッと見てみたのですが、中には大変面白いものもあり、せっかくなので簡単にまとめてみました。

多かったのは、
・松井にハグしたい!
・松井、お前こそがMVPだ!!
・なるほど、確かにこいつはゴジラだ。

など、やはり松井を賞賛するもの。Yanksにとっても、松井の今日の活躍は目を見張るものだったのでしょう。
そのほかにも、

・自分用メモ:いつか殺す人・Hideki Matsui
←多分、敵チームのファン

・俺は松井を許さない。許して欲しければ、今すぐオレたちのチームの契約書にサインしろ
←同じく、敵チームのファンの人と思われる。これ以外にも「うちのチームに移籍しろ」は多かった。

・松井は、まだ英語話せないのか(笑)
←インタビュー時。これもとても多かった。実際にはどうなんでしょうかね。

・松井最高!!今日はホイップクリームにしょうゆとワサビをいれるわぁぁぁ!!
←意味不明w

・松井はアジアで最初のMVPってだけじゃなく、最もたくさんのポルノを持ってるMVPでもあるぜ
←詳しいww


それにしても気になったのは、ヤンキースファンと思われる人たちの「松井にチームに残って欲しい」というtwitがほとんどなかったこと。

・私たちは、松井のことを忘れない。
・最高の夜をありがとう、松井。


など、まるで彼のヤンキース退団は規定路線のような書き方が多かった。
日本人が松井にはヤンキースにいてほしいと思うような気持ちは、アメリカの人にはないのかもしれません。個人主義が浸透した国だから、チームに依存するというよりも、彼が活躍できる場こそが彼にとって最高の場であるという認識があるのかもしれません。


それにしても、twitterで「松井」と検索するより、「matsui」の方が数十倍ヒットしたことからも、当たり前と言えば当たり前ですが、日本ではまだまだtwitterがマイナーであることと、それに反して英語圏でのtwitterの浸透ぶりに驚いた一日でした。

負のエネルギーを全身で受け止めることのできる人の強さ [読書]自殺する私をどうか止めて 西原由記子

こんな弱小ブログには考えられないほどのアクセスをいただいた前回の記事ですが、とりあえずいつものように普通の書評などに戻りたいと思います。

本書は、私のTwitter友?と言ったら失礼なくらい著名なブロガー、どんジレさんのブログを拝見し、興味を持って読んだもの。


著者は「東京都自殺防止センター」というところでボランティアをしている女性。
何ともダイレクトな名前のセンターだが、その名前になったいきさつなども明記している。

ここでは、自殺を考える人のための最後の砦となり、その話を電話を通して親身になって聞く、ということを行っている。
タイトルに「止めて」とあり、もちろん最終目的は自殺を止めることであるものの、著者をはじめとしたボランティアの方たちは、決して「自殺なんて思いとどまりなさい」と説教するわけではなく、ただ相手の話を聞き続けるとのことだ。それこそが、最後の最後まで思いつめた人を楽にできる方法だと知っているからだ。


人間にはさまざまな感情がある。
ポジティブなパワーを持った人の近くにいれば元気になれることもあるし、愚痴ばかり言われるとげんなりしてしまう。
その中で「死にたい」というのは、最も強烈な力を持ったものだろう。それこそ「生きたい」より上かもしれない。

生きるということは、生命体として最大の本能であるし、すべての理がそれを前提としている。生きていれば、色んな楽しいことや嬉しいことがある。生きていて本当によかったと思える瞬間がある。
「死にたい」という人は、そのすべてを断ち切って、もう楽になりたいと願うことだ。多くの人が本能では生きていたいはずなのに、その本能をも凌駕する苦しみに襲われ、もうすべてを終わりにしたいと望む。その「負の力」は、周りの人を巻き込んで余りある。

だからこそ、聞くだけで身を裂かれるような不幸な身の上話を聞かされ、私は明日死ぬと宣言され、それでも「あなたの気持ちは分かります」と言える人の強さは、想像を絶するものがある。
しかも、職員の方たちは全員ボランティアだという。

もちろん、自殺を防げた時の喜びはひとしおだろう。でも、実際に自殺をしてしまう人もいるはずだ。「止められなかった」という自責の念と戦い続けるのは、容易ではないはずだ。著者はそれを25年(本が刊行されたのは今から6年前なので合わせて31年)も続けているというのだから、その人間的な「強さ」は、並大抵のものではないだろうと思う。包容力というか、やさしさというか、一概には言えないけれど。


本としての評価をすると、著者はやはり作家ではないので事実の羅列がただ続くだけで読みづらいところも正直ある。
そしてこれは編集者の問題だと思うが、同じ記述が複数回でてくることがあるので、やや未熟な感がある。

しかし、それを補って余りあるリアリティと、著者をはじめとしたスタッフの方たちの温かさ、自分には到底持つことができそうもない人としての器の大きさを感じることができる、一読の価値がある一冊だった。

骨髄バンクでドナーになった経験と、その後の登録を断ったときの話

骨髄ドナーというのは、身近なようでいて周りにあまり経験者がいないものではないだろうか。
多くの人が「人の命を救うことができるならやってみたい、でも大変そう…」程度に考えていて、ドナーを経験した人は「すごい」「偉い」と単純に賛美の対象になる感がある。

私は、数年前にその骨髄ドナーを経験した。
本来ドナーになったことは大っぴらに公言してはいけないのだが、幸い?なことにこのブログの存在は誰にも明かしていないので、身元が分かることはまずないだろう。それよりも、自分の経験を少しでも多くの人に知ってもらう方が価値があるのではと判断したので、書いてみることにする。
長文です。


ドナーに適合したのは、登録してから5年ほどしたころ。
ちょうど大きな引越しが重なってしまい、コーディネーターと呼ばれる、骨髄バンクのスタッフの方には大変迷惑をかけた。

正直に言うと、本当に選ばれたのは非常に驚いた。
登録はしても、実際に適合する人はかなり少ないと聞いていたからだ。

骨髄移植というのは、主に白血病などの血液の病気に適用される。なので、白血球の成分が合うかどうかで決まる。
有名な「ABO式」の血液型は赤血球の型で、白血球はもっと種類が多い。そのため、家族といえども中々適合しない。

ちなみに、骨髄の移植をすると「ABO式」の血液型も変化する。私はA型だが、私の骨髄を移植した人は元々B型でもO型でもA型になる。
それだけでも、血液型で性格を判断するのがどれだけ無意味かが分かると思う。



もちろん迷いもあったのだけど「ここでやめたら、登録したのも結局偽善だったのか」という思いが強く、承諾した。
家族の同意も得て、最終同意書というやつにサインをした。途中多くの同意ステップがあるのだが、この最終同意を終えると患者さんは全身の骨髄を抜くなどの手術の準備を始めるため、キャンセルは許されない。

家族は、やはり諸手を挙げて賛成ではなかった。というか、反対していた。
どこから調べてきたのか、過去の骨髄移植で1件だけ発生したドナーの死亡事故の話を知っていた。
家族のそういう気持ちも分かるから、何となく辛くはあった。



ドナーと患者の間には完全な「貸し借り」が発生するので、お互いの情報は絶対に教えてくれない。ただ、手術の直前に「関東に住む50代の男性」ということだけは教えてもらった。

ここでちょっと複雑な気持ちになったことは隠さない。
自分が登録したきっかけは、18歳の時、白血病で親友を失ったことだった。
うっすらとではあるが、やはり子ども、または自分より若い人の命を救うものだと思っていたのかもしれない。それこそ自分の勝手な思い込み以外の何物でもないのだけど。



手術当日、まずカンチョウをして腹の中のものを全部だす。
これは、全身麻酔のために手術中に垂れ流してしまうことがあるからだそうだ。

そして直前に、医大生に手術の見学をさせたいと言われた。
正直、尿道カテーテルを入れられるところまでうら若き学生に見られるのは恥ずかしかったが、特に断る理由もないので承諾した。

手術室に運ばれる前に、腕にとてつもなく太い注射を打たれた。その後本当に数分で眠ってしまい全く記憶がないので、睡眠薬か何かだったのだろう。



次に気づいたのは真夜中だった。
腰に激痛が走り、飛び起きた。麻酔が切れたわけだ。

まさに「鈍痛」というやつで、2Bの鉛筆をゆっくり刺されているような痛みだった。
実際に、腰には鉛筆大の針の痕が4つあった。

その後、朝まであまり眠れず鈍痛が続く。
ようやく歩けるようになったのは2日後くらいだったが、それでも早いと言われた。


1週間後には無事退院。仕事には次の週から復帰できた。
ただ、私はオフィスワークだったからよかったものの、肉体労働や立ち仕事だったらおそらく3週間程度は厳しかっただろうと思う。しばらく重めのドアを引くことすら難儀した。

前述のようにドナーになったことは言えないため、本当のことは上司にのみ伝え、周りの人には「腰をうって入院した」と言っていた(笑)



ドナーと患者の間では、手術を終えてから1年間、バンクを通じて手紙の交流が認められている。
私は、やはり心のどこかでその手紙を待っていた。自分の力、では全然ないけど、まぁ少しでも役に立ったのなら嬉しいな、と。

しかし、手紙は来なかった。


これが何を意味しているのか、色々と考えた。
結局、役には立てなかったのか。それとも助かったけどお礼は言われないだけなのか。それならいいんだけど、相手はひょっとしてとんでもない極悪人で、自分は社会の役に立つどころか逆のことをしてしまったのでは…
妄想は広がるばかりだ。


自分から送ろうかとも思ったのだが、悲しい理由だったら相手に悪いし、結局できなかった。
結局私はドナーにはなったものの、自分のしたことは一体なんだったのか、自分の中で消化できないまま、何ともいえない後味と厚生労働大臣からの感謝状一枚を抱えることになった。

それが当たり前で、自己満足気分を得ようとしていただけなのだろう、と今は思う。
しかし当時の自分としては、それなりに自分のいろいろなものを犠牲にして見ず知らずの人の命を救おうと覚悟していたので、その結果が何も分からないということに多少なりとも不満を抱えていた。
この辺りは、今後のドナー運営の点で何かしら改善してほしいと願う。大変難しいことだとは分かっているけど、それがドナーを増やすことにもつながるのではないだろうか。


生涯で骨髄ドナーになれるのは2回だけ(家族の場合は除く)。
手術をしてから半年後くらいに、引き続きドナーになるかどうかという意思確認が来た。


私は迷ったが、断った。
そして今でも、再登録はしていない。




ドナーを考えている方がいらっしゃれば、本当に家族とよく話し合って、そして最終的にはやはり自分の意思で決めてほしい。


私の場合、もし家族や知人が「やりたい」と言ったなら、自分の経験をよく話すつもりだ。

もちろん個人差があるけど、完全に何の違和感もなく運動ができるようになったのは半年後くらい。針の痕も半年もすれば消えると言われていたけど、3年は残っていた。



骨髄ドナーになった話というのは美化されやすい。検索してみても、すばらしい体験談ばかりが並ぶ。
だから、私が思ったことも記してみてもいいかなと思った。正しいとか間違っているとかではなくて、ただ「私の場合こうだった」というだけ。



明日は、その友の命日。
この体験談が、何かの役に立てれば大変幸いです。

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